どうして「アメリカンコーヒー」って呼ぶの?ネタバレ回

数年前にブログがウイルスにやられ、10年以上書き続けてきた駄文を全て削除する羽目になって意気消沈していたのですが、ハードディスクの奥から不完全なバックアップや草稿を見つけることができたため、年末年始の暇にまかせて復旧を試みています。「アメリカンコーヒー」シリーズは7年前に膨大な時間をかけて書いた記憶がありましたが、今読み返しても「え、そんなに悪くないじゃん」と自画自賛できるので再掲です。みんな読んでみて。

さて、このシリーズは、そもそも「アメリカンコーヒー」という語の由来が、第二次世界大戦でヨーロッパに押し寄せたアメリカ人が、エスプレッソが濃くて苦くて飲めないっていうのでお湯で割って飲んだから、というエピソードを知ったのがきっかけでした。可能な限り調べて、できるだけ史実に忠実なつくりにしたかったんですが、もちろんフィクションも交えているので、備忘録も兼ねてのメモを残しておきます。

その1

パリ解放前後の話は『パリは燃えているか?』を参考にしました。ヒトラーはパリから撤退する際、何がなんでもこの都市を灰にしたかったようですが、いろんな要因が重なって阻止されました。パリが灰にならなくて良かった、、

その2

連合軍によるパリ解放の翌日、ムーラン・ルージュが再スタート。エディット・ピアフ(当時28歳)とイブ・モンタンが出演。演出にジャン・コクトーが絡んでたらしい。ムーラン・ルージュのディレクター、フランシス・サラベルトFrancis Salabert(この時60歳)は「戦後、音楽ディレクターに就任、戦前ー戦中のスタイルを変える・・」という記述があったので、恐らくこの日はディレクターやってない。

実際は、カフェ・シラノはムーラン・ルージュの隣ではなく、隣の隣でした。

←ムーラン・ルージュ/何か/カフェ・シラノ→

カフェ・シラノはアンドレ・ブルトンのアトリエの近くにあり、シュルレアリスムのメンバーが入り浸っていたんだったか。『シュルレアリスムという伝説』でそういう記述があったはず。さて、戦争中はシュルレアリストは亡命していたけど、ムーラン・ルージュは戦時中、ドイツ占領下でも営業していたのだから、隣の隣のカフェも開けてるでしょ!と推測。

で、現在のムーラン・ルージュ、周りに何があるのかというと、、

残念ながらカフェ・シラノはなくなってるんだけど、向かいにスタバができてる!

この辺から、スタバとムーラン・ルージュを結びつける話になっていったんです。

その3

パリ解放の翌日に、唐突にドイツ兵が闖入してくるんですが、これも前述『パリは燃えているか』の記述で、解放後も銃撃が散発していたようで、シャルル・ド・ゴール将軍が解放の翌日に凱旋パレードをしている際にも銃撃があり、兵士も市民もワーキャー騒然とするなか、シャルル・ド・ゴールは悠然と歩き続けたというエピソードが。カッケーなおい。撤退しそびれたドイツ兵は結構いたんじゃないでしょうか。

オレンジ砂糖漬けのチョコレートがけがエディピアフの好物だったかどうか、、なんかどっかでそういう記述を見たような、見ていないような、、、

椅子について。トーネットについては「アメリカンコーヒー」の次回作として書こうと思っていたけどまだ書けてません。むむぅ。トーネットはドイツ人が産んだ世界最強の椅子で、この当時ムーラン・ルージュの椅子もトーネットでした。

ロートレック『ムーラン・ルージュにて』。ほら!椅子が完全にトーネットの14番!

その4

ハワード・シュルツの父フレッドはドイツ系ユダヤ人。第二次世界大戦に従軍はしてますが、欧州戦線ではなく実際は太平洋戦線でした。戦後ブルーカラーの職にしかつけず貧困。これが息子ハワードの原動力のひとつになったそうな。

最後のやつは、あれですよ、インセプション夢オチですよ。好きなんですよインセプション・・・

 

こちらからは以上になります!次回作書きたくなってきた。

 

どうして「アメリカンコーヒー」って呼ぶの?シリーズ

shoguito

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