『アンデスのリトゥーマ』マリオ・バルガス=ジョサ

読書感想文を見直してみると、前回バルガス=リョサの『密林の語り部』を読んだのが、ちょうど20年前、2002年の7月29日だった。時期まで被ってる!メキシコから帰ってきて就職活動して内定も出て、曽祖母が亡くなった夏だった。この頃ぼくは、20年後の同じ時期に、全く同じ場所に戻ってきて、それこそ結婚して子供が2人、自営業から株式会社化し仕事も順調な、少なくとも表向きは普通に善く生きる40代を過ごしているなんて、全く想像していなかったんじゃないだろうか。
(この文章は結局『アンデスのリトゥーマ』の感想文にならない気がする。)
物語の歴史性、というか、なんなんだろう、この感覚は。物語の本筋とは全く関係無く、それを読んでいた当時の自分の物語(それはいつも途中経過だ)と混ざり、融合したものが記憶として自分の中に沈殿する感じ。20年をかけて、”ぼくの”『密林の語り部』(以下『密林』)は(細部はとうに忘れてしまっているんだけど)、空気感、雰囲気は、ぼく自身の物語の途中経過、学生から社会人への、ドイツ人の彼女との未来と東京での未来の、死にゆこうとしている曽祖母の、多分最後のモラトリアムの夏が過ぎていこうとしているシーンと結びついてしまっている。
20年を経て、数えきれないほどの湾曲、回り道を経て身体はこの場所に帰ってきた(のか、これからの通過地点なのか)。”ぼくの”『アンデスのリトゥーマ』(以下『アンデス』)は、金色の髪のあの子と行った本屋で買ったところから始まる。3-4ヶ月経ってようやく読み終えたところから、ぼくの物語との融合が始まる。
(ようやく感想文を始められそうだ、、)
『アンデス』は『密林』よりも後になって書かれたものという雰囲気が文章から伝わる。つまり、『密林』ではまだ構造的に”わかりやすい”対位法、2つの世界線が交互に描かれる形だったので、読者としては落ち着いて文章の世界を想起できた。『アンデス』、特に序盤、トマスの恋物語の回想部分あたりから、それこそ1文1文の時間軸が飛び飛びになるので、誰がこれを言ったのか、これは現在なのか回想なのかを確かめながら読み進めないといけない。
でもこれは、後半、3人の死の真相が明らかになっていく過程で、文体の時間軸が(意図的に)さらに不明瞭になっていく部分のためのウォーミングアップにも見える。ウォーミングアップでもあり、救いの無い本編のためのささやかなハッピーなサイドストーリーでもあり。『密林』にはなかった、なんやその予定調和なハッピーラブストーリーは!とツッコミたくなるような、イヤでもこの重苦しい本筋の重さは、これぐらいの清涼剤があっても全然悪くない。
20年越しに、改めてバルガス=リョサすげえなって感じた。そういえば間に『フリアとシナリオライター』読んでたけど覚えてない!もっかい読まんと。そしていつか代表作『緑の家』も読まなければ。

shoguito

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