『善と悪のパラドックス』リチャード・ランガム

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ざっくり言うと;

・人類は集団“内“ではお互いに助け合うが、同時に集団同士では頻繁に殺し合う。どうして?という疑問に、文化人類学・動物学・進化論・脳内生理学・その他めいっぱいの最新知見を駆使して答える名著。マジ名著。マジお薦め。

・人類が大昔から“ルソーの善とホッブズの悪を共存させている“メカニズムは解明されてきたように見えるが、問題は、ホッブズの悪をどう扱い、次の大戦、大量殺戮を阻止するか。まだその答えは出ない。

・私的な結論は、①敵味方の境界線をぼやけさせる②攻撃的/挑発的な言論姿勢を表に出さない 結局月並みなことしか言えてませんが、、

(以下、本文)

このところ、真面目に「戦争を回避する方法」について模索していたところ、橘玲さんのこの書評を見つけて、早速読んでみました。結論、めちゃくちゃ良かったです。総論に至るまでの各論の精密さが凄い。どうやったら世界から争いをなくせるのかを日々思い悩んでいる人がもしいたら、超おすすめです。以下、できるだけまとめてみます。

 

1. 2種類の攻撃タイプ:「反応的攻撃」と「能動的攻撃」

攻撃行動には2つのタイプがあります。「反応的攻撃」は脅威に対する反射的な反応として現れ、「能動的攻撃」は冷静、計画的、捕食的な攻撃。ざっくり言って

反応的攻撃:衝動殺人的、恐怖や怒りで我を忘れて、、的な
能動的攻撃:計画殺人的、コナン的な

イメージで良いかと思います。この2つは、発動する脳の回路が異なる、別々の行動です。

で、野生動物は反応的攻撃が多く、能動的攻撃が少ないのに対し、人類は逆なのです。これ、なんでだろう?

2.人類の自己家畜化

他の動物、例えば犬とオオカミを見てみると、犬(家畜化されたオオカミ)はオオカミに対し同じこと、つまり反応的攻撃が少ないと言えます。動物全般に、家畜化の過程で①野生種より小型に、②顔が平面的に、③性差が小さくなり、④脳が小さくなる(しかし認知機能は必ずしも低下しない!) という特徴があり、その流れでみると、人類はどうも「家畜化された動物」寄りに見えます。

人類が〇〇の家畜化された姿だとすると、じゃあ〇〇は何なの?また、誰が人類を家畜化したの?という疑問が出てきます。著者は、〇〇はホモ・サピエンスと最後に枝分かれした「ネアンデルタール人」とします。確かに骨格から推定するに、ホモ・サピエンスはネアンデルタール人に比べ体格や頭蓋骨が小さい。

でも、誰かがネアンデルタール人を“飼い慣らして“家畜化したわけではない。結論、ホモ・サピエンスは自分で自分を家畜化した、つまり「自己家畜化した」と考えられます。

3. 自己家畜化のメカニズム;処刑仮説①単体での支配→集団での支配

人類はどのように自分自身を家畜化したのか?の有力な仮説が、古くはダーウィンが提唱した「処刑仮説」です。

例えばチンパンジーは「1匹の強いオス」が群れをまとめる形態です。若いオスは単体でボスに挑戦し、勝てば群れを奪取する(そして群れの子チンパンジーを皆殺しにする、、)ポイントは、ボス戦が「 1対1」という点です。

他の(ボスに 1対1では敵わない)オス達が力を合わせれば、いかに単体で強いボスでも確実に排除可能なはずですが、そうならないのは、チンパンジーに複雑なコミュニケーション能力が欠けているからだと推察されます。(集団で 1匹を排除するには、その1匹を誰にするかを選び、全員で合意する必要がある)

逆に言えば、排除する 1人を合議のもと選択し実行できるようなコミュニケーション能力さえあれば、個人の戦闘力にかかわらず、集団にそぐわない者を排除することができるようになる。10〜6万年前には現代のような言語を身につけていたとされる人類は、このような「複数のオスのグループ」による支配構造を作っていったと考えられます。

4. 自己家畜化のメカニズム;処刑仮説②べリャーエフの法則と道徳の発生

複数のオスのグループは、集団を維持するために、集団に害を与える個体を排除し始めます。排除される対象は前述した2タイプの攻撃性のうち「反応的攻撃」を抑えられない個体。反応的攻撃をする個体は、衝動的・突発的に仲間を傷つけるからです。

こうして集団から反応的攻撃をみせる個体が減り、結果として反応的攻撃を抑制された従順な個体が選別されることになります。野生動物の家畜化を研究したべリャーエフによれば、従順な個体を選別して交配を重ねると、従順さの変化が加速し、驚くほど短い期間で集団全体の家畜化が進みます(べリャーエフの法則)

これに加え、集団のメンバーには支配層である「複数のオスのグループ」に排除対象とされない、選ばれないように気を配るというバイアスがかかります。つまり、集団内で生き続けるために、集団に害を与えない行動を心がけることが重要になります。この行動指針がタブーや道徳、善悪の概念の発生と考えられます。

荒くれ者は処刑により淘汰され、残った者はタブーを恐れ、みんな大人しくなる、、、これが人類の善の部分が形成されたメカニズムですが、それでは悪の部分はどのように形作られたのか?

5.一方、能動的攻撃は発達・複雑化、大規模化しどうしようもない

衝動的・突発的な「反応的攻撃」が抑制されていく一方、複数のオスのグループが行使する選別的・計画的・冷静な暴力は「能動的攻撃」で、以降人類は能動的攻撃に磨きをかけます。人類は、複数のオスが一致団結することで発揮される能動的攻撃が非常に強力であることに気づき、集団をより大きく強くするために縄張りを拡大し、やがて他の集団(敵)を攻撃するようになります。

より大きな集団同士の戦争になると、戦争自体が複雑化します。つまり、それぞれの個体が戦闘状態にあったものが、約1万年前ごろから「指揮官が命令し、兵士が従う」形態に発展します。こうして戦争がより複雑に、大規模になっていくことにより、勝敗が決しにくく、また勝敗が決した時点で甚大な被害が出てしまうようになります。

また、抑制されてはいるが人類がまだ保持している反応的攻撃の影響で、この傾向にさらに拍車がかかります。反応的攻撃に起源を持つ「楽観的思考」を発揮すると集中力が上がり、ハッタリを効かせて敵を怖がらせるため、結果として勝利に結びつきやすいという事実があり、そのため敵同士がお互いに楽観的に自分の勝利を信じて戦います。大惨事しか残りません。

6. 戦争を好む我々、どう抑止すれば良いのか?についての私見

人類が本能的に、楽観的に、敵と戦うことが好きなのはわかったのですが、じゃあ、敵味方がはっきりしなければいいんじゃないか?と思うんです。白黒はっきりさせずグレーゾーンにしておく。集団の外側でもあり、内側でもある。自分は相手側にも一部属している。具体的には、相手を知ること、認めること、尊重すること、、と、結局なんか教訓めいた話になってしまうんですが、物事について攻撃的・挑発的な発言を展開する前にやれることって色々あると思うんですよね。少なくとも私はそうありたいと思います。

 

shoguito

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