どうして「アメリカンコーヒー」って呼ぶの?その2

その午後、ムーラン・ルージュは、パリ解放後、記念すべき第一日目のオープンを間近に控え、慌ただしく準備が進められていた。

ディレクターのフランシスは、スタッフに細かく指示を出しながらも、ついさっき、彼女と言い争ったことを少し気にかけていた。

やれやれ、今日の彼女は特にナーバスだな。出番までに、ご機嫌は直るのかね?いずれにしても、今夜の舞台はなんとしても成功させないと。なにせ、パリが4年間の支配から解放されたんだから。4年、本当に長かった・・今日を待てずに死んじまった奴らにも届くように、いい舞台にしないとな。

先月、還暦を迎えたばかりのフランシスは、長く音楽業界に関わってきたが、今回、この大事な舞台のプロデュースにひと肌脱ぐことにした。ムーラン・ルージュは1889年にオープンして以来、常にパリの中心的な社交場のひとつとして注目されてきた。戦争が始まっても、パリがドイツに占領されても、ずっと営業を続けてきた、パリ市民にとって、もちろんフランシス自身にとっても、特別な場所だった。だからこそ今日、8月26日の公演は、パリを自分たちの手に取り戻したことの象徴になるような、すばらしいものにしたい。解放に導いてくれた連合軍の兵士たちへの心からの感謝を、そして、頑張ってきた私たち自身へのねぎらいの音楽を。プレッシャーのかかる、でも、とてもやりがいのある仕事。成功には彼女の力が必要なんだが・・ううむ。

とにかく、準備が肝心だ。おい、照明のほうは大丈夫か?よし、じゃ、リハーサル始めるぞ!誰か、お姫様を呼んできてくれ!

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ああ、イライラする!あたし、ああいう、年上だっていうだけで上から目線で喋る男、大っ嫌いだわ。ワインでも飲まないとやってられないわ・・・って、舞台前にお酒は、ダメか。仕方ないわ、コーヒーでも飲みに行こっか・・

フランシスと、歌の曲順について口論になり、思わず楽屋を飛び出したエディット・ピアフ。彼は尊敬すべき大プロデューサーで、今日の公演をとても重要だと考えているのはわかっていたし、彼女もまた同じように、今日はパリを解放に導いてくれた全てを祝福したい気持ちでいっぱいだったけれど、占領中もドイツ人の客を前に歌い続けてきた彼女には、別の角度からの強い思い入れがあって、その1曲だけはどうしても譲りたくなかったのだった。確かに、わたしたちは本当に苦しめられたし、救ってもらって本当に嬉しい。だけど・・・

ムーラン・ルージュの隣はカフェレストランで、出演者がこっそり出入りできる出入り口がある。とにかく、コーヒー飲んで、一息つこう。ピアフは「カフェ・シラノ」へ続く扉を開いた。

*つづく*

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shoguito

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