大和撫子についての考察(1)

先日、どこかで、美輪明宏氏が「大和撫子」について話していました。


「”大和撫子”というのは、礼節をわきまえ、おごらず、引っ込みすぎず、出すぎず、謙虚でたしなみがある女性のことです。そして優しさや思いやりがあり、それでいて芯の強さを持った女性が、大和撫子を名乗れるのです」美輪氏が言うと説得力があります。


そういえばこの「大和撫子」という言葉、ぼんやりと、上記のような意味なんだろうなとは思っていましたが、じゃあ語源はどこにあるのか、どういう経緯でこういう意味になったのか、よくわからないので、調べてみました。


大和撫子=クシナダヒメ?


まず語源から。こちらのブログによると、大和撫子の語源は、「クシナダヒメ」(奇稲田姫、櫛名田比売)から来るようです。彼女の両親がテナヅチ、アシナヅチ(日本書紀の表記は脚摩乳・手摩乳)という名なので、「クシナダの手足を撫でるように大事に育てた子」=撫子、という解釈ができるそうです。もちろんWikipediaにもあるように、可憐、繊細かつ芯が強いナデシコの花に例えるのが一般的なのでしょうが、それでは話が広がらないので今回は大和撫子=クシナダヒメ説を手に取って、掘り下げてみたいと思います。


さて、どうしてテナヅチ、アシナヅチは、クシナダをそんなに大切にしたのか?理由があります。クシナダは8人姉妹の末っ子だからです。そして、上の姉達は皆、8つの頭を持つ大蛇「ヤマタノオロチ」に食べられてしまったからです。


そして、高天原から出雲の地に降り立ったスサノオによるオロチ退治のお話が始まります。かいつまんで説明すると、オロチがとうとう末の娘、クシナダを生け贄に求めた。悲しむ家族のところにスサノオが訪れ、彼女を妻に娶ることを条件に、オロチ退治を約束する。そして(ここ重要)クシナダがスサノオの神通力により「櫛」に変えられ、オロチ退治に同行する(持って行かれる)。スサノオがオロチを退治し、クシナダも人間の姿に戻り、ハッピーエンド。という流れです。


スサノオのオロチ退治はいろいろ面白いのですが、ここではクシナダに絞ります。さて、疑問。クシナダは家でおとなしく待ってればいいのに、観光に行くわけでもないのに、どうしてわざわざ「櫛」に姿を変えられ、オロチ退治に連れて行かれたのか?ここキーポイントです。恐らく、スサノオは彼女を連れて行く必要があった。もう少し突っ込むと、生身の彼女そのもの、ではなく、彼女に付帯する「何か」を携帯する必要があったのではないか、と思うのです。


「櫛」というのは後述のもうひとつのストーリーにも関連する、意味深長なアイテムです。これは何を象徴しているのか?


「スサノオのオロチ退治」が実際何を意味しているのかには諸説があります。一般的に「大蛇」「龍」は川の氾濫を象徴しているので、これは川の氾濫を食い止め、水田(=奇”稲田”姫)を守る、もしくは、処女の生け贄を捧げる悪習を廃止するストーリーだという説や、(オロチ退治の末に、草薙剣を手に入れることから)この地方の製鉄技術集団の征服と、製鋼技術の取得を意味するという説もあります。


とにかく、そこには何らかの問題があった。そしてスサノオは土地の者ではなく、外からやって来た者。いくら個人能力が優れていても、治水工事にしろ戦争にしろ、1人でやるのは不可能です。組織力が必要になる。「櫛」は、人々を統率するために必要な権力、権限の象徴なのではないか。(←という説を、どこかのブログで読んだんですが、リンク先不明です・・)


こう考えると、話がとてもクリアになります。スサノオは力はあるが権限が無い。クシナダは権限はあるが力が無い。だからスサノオは、クシナダを妻にする(=権限委譲する)ことを条件に「ヤマタノオロチ」退治のプロジェクトを請け負う。つまり「櫛」はクシナダが有する権力の象徴なのです。


おぉ。つながった。


クシナダヒメ=オトタチバナヒメ?


記紀神話には、もうひとつ、「スサノオのオロチ退治」と深い関連があるストーリーがあります。ヤマトタケル(日本武尊)による日本各地の平定のお話です。


ヤマトタケルはほんとにヘラクレスそっくり(※1)の不憫な男で、父の景行天皇に次々に辺境の地の征服を命じられ、がんばるのです。熊襲(九州)平定の際は、なぜか女装して敵を油断させます。静岡県焼津市では、土地神の計略により草原で火に囲まれ、あわや!という状況に追い込まれます。最後は滋賀県の伊吹山で雨に打たれ、風邪をこじらせて死んでしまいます。この辺もヘラクレス的に不憫な男です。


さて、ヤマトタケルにはオトタチバナヒメという妻がいました。焼津で火攻めに会った時に、火打石で助けてくれた出来る女子です。そして彼女はヤマトタケルの東征(関東地方の征服)にも同行します。


浦賀水道(三浦半島と房総半島の間)を船で進んでいるときのこと、ヤマトタケルがしょうもない事を言って海神を怒らせ、海が荒れます。そこでオトタチバナヒメは神の怒りを鎮めるために、入水します。そして7日後、彼女の「櫛」が浜に流れ着きます。また出てきました。「櫛」です。上記クシナダヒメの例に倣えば、この櫛は、オトタチバナヒメの夫を助ける機知と優しさの象徴としての櫛と考えられます。


「櫛」がつなぐ大和撫子の系譜


クシナダの「櫛」は、(※加筆)高貴な家柄・地位に属する無垢の女性により、夫に付与される権力の象徴(※2)、またオトタチバナヒメの「櫛」は、夫の危機を救う援助と機知の象徴。この2人の女性(性)が、大和撫子という女性像のベースにある、と考えられます。強引。


※※※


さて、次のステップです。今回、日本の神話と比較してギリシャ神話を引き合いに出しました。類似点の多さに改めてびっくりなのですが、ひとつ、決定的に違う点に気付きました。それは、「日本神話に悪女が登場しない」という点です。次回はこれを、私が図書館をかけずり回って見つけた、新潮45に掲載された三枝和子さんの小さなエッセイを下敷きに考察してみたいと思います。


※1 ヘラクレスはペルセウスの子孫。ヤマトタケルもスサノオの血を引くという偶然。両方とも、ふがいない兄貴を持ち、無理難題をふっかけられて四苦八苦する。


※2 加筆。そういえば、クシナダヒメが両親に猫可愛がりされたという件をスルーしていました(それが「撫子」につながるというのに!)次回、次々回につながる議論ですが、スサノオにとって、クシナダが「権力を持つ」ことと同時に「夫に対して従順であること」が決定的に重要であると思われます。逆玉の輿という形で貸与された力だが、妻を完全に支配することで、その力を我が物にすることができるからです。妻を完全に支配するには、夫が妻にとって、最初で最後、唯一の男であるべき=必然的にクシナダは処女であるべき、という話になるのかな。加筆、長くなりましたが、大和撫子にとって、処女性がどれほど重要であるのか(重要と見なされるのか)は、そもそも日本ではキリスト教後のヨーロッパ世界ほど処女性が重視されなかったと思うので、また興味深い話であります。



大和撫子についての考察シリーズ

[1.大和撫子の起源について]

[1.5 吉野裕子『山の神』レビュー]

[2.世界の神話での女性像]

[3.まとめ]

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