大和撫子についての考察(3.0)
前回までのあらすじ:
・大和撫子のプロトタイプは、記紀神話のクシナダヒメ、オトタチバナヒメにさかのぼる。彼女らは不思議な力で夫を護り、プロジェクト成功に導く。(1.0)
・日本は古来、山岳信仰・蛇信仰の文化。記紀神話では、「女性の不可思議な力」と「蛇信仰」が「櫛」を通じて結びつく。(1.5)
・ギリシャ神話と日本の神話にはよく似たエピソードがたくさんあるにも関わらず、ギリシャ神話に沢山出てくる「悪女」が日本神話には見られない。原因は、神話が書き物として記述された時代背景にあると推測される。卑弥呼の例に見られるように、日本にも女系社会が浸透していたはずだが、記紀成立の700年代前半には既に男系社会が優位になっていた為、意図的に(か、自然にそうなったのか)「力を持つが、夫に従順」な女性像が書き留められた。(2.0)
※本文
さて、前回までは、大和撫子の原型は、記紀神話のクシナダヒメ、オトタチバナヒメにさかのぼる事、また、彼女らを含め日本の神話には、ギリシャ神話に描かれるような「悪女」が見られないこと、そしてその原因は、神話が記述された時代の社会状況にあると推測できることまでを述べました。
じゃあ、当時ヨーロッパは、どんな社会状況にあったのか?を、もうちょっと詳しく見ていきたいと思います。
ヨーロッパ地域の地母神信仰
大地は古代の人間にとって、食物を生み出し、同時に、天変地異や干ばつ・飢饉により命を奪う、驚異的な存在でした。だからこそ世界中で、大地は神としてあがめられました。植物・動物を育む、「産む」というところから、大地は女神、母神と捉えられるのも自然なことです。
インド・メソポタミア・ヨーロッパ地域には、地母神の一連の系譜があります。メソポタミア神話(※1)のイシュタル(イナンナ)から、西にはネイト(エジプト)、アプロディテ(ギリシャ)→ヴェヌス(ローマ)、フレイヤ(ゲルマン)、東へはインド神話のカーリーがつながっています。彼女らが司るのは、例えば、「豊穣」「愛と美」「金星」「戦い」等(※2)。ケルト神話のダヌ(※3)ももちろん、この系譜に入ると思います。
これら「大地」を軸にした神々は、大地が与えるもの(豊穣、性愛)、奪うもの(戦いと死)の両面を併せ持っていました。民族や宗教は違えど、与え奪う大地に畏敬の念を抱くのは共通で、しかも多神教なので異教の神が出入りするのも比較的自由。ということで、紀元前3000年に記述されたイシュタルに連なる地母神は、紀元前後にかけてヨーロッパ全域に広がっていきました。
しかし、上記の多神教宗教に対し、紀元前500年辺りに、一神教の宗教が生まれます。ユダヤ教です。この神は紀元1世紀にはキリスト教として物凄いプロモーションを行い、4世紀にはローマ帝国の国教にまでのしあがります。ケルト人もゲルマン人もどんどん改宗していき、キリスト教はヨーロッパ地域を席巻します。
地母神/多神教→聖母マリア/キリスト教信仰の過程で削除されたもの
一連の多神教宗教と、ユダヤ教に始まる一神教宗教で大きく変化したのが、物語内での女性の存在感です。ギリシャ神話には、女神・魔物含め、たくさんの女性性が登場します。古代エジプト神話でも天空神は女性で、メジャーな地位を占めていると言えます。紀元前6000年頃から現在のシリア辺りにあったとされる、ユダヤ教に影響を与えるウガリットの神話にも、前述の地母神の系譜にあるアスタルトがいます。豊穣・繁殖の神として崇拝されたという。
ところが、ユダヤ教、キリスト教に入ると、主役級の女性がぐんと少なくなります(※4)。聖書、ろくに読んでないですが、女性というとイブ、デリラ、新約に飛んで聖母マリアと、マグダラのマリア。予言者も使徒も皆男性ですし、登場人物の男性比率が多くなる。そして、女性の凶暴性、奔放性、自由さが規制されています。と思います。
例えば参考までに、上述のアスタルトが旧約聖書に登場する場面。イスラエル王までこの女神を信仰するので、ユダヤ教聖職者が怒るという話。以下、引用です。
・・・彼には王妃としての妻700人、そばめ300人があった。その妻たちが彼の心を転じて他の神々に従わせたので、彼の心は父ダビデの心のようには、その神、主に真実ではなかった。これはソロモンがシドンびとの女神アシタロテに従い、アンモンびとの神である憎むべき者アルコムに従ったからである。このようにソロモンは主の目の前に悪を行い、父ダビデのように全くは主に従わなかった。そしてソロモンはモアブの神である憎むべき者ケモシのために、またアンモンの人々の神である憎むべき者モレクのためにエルサレムの東の山に高き所を築いた。彼はまた外国のすべての妻たちのためにもそうしたので、彼女たちはその神々に香をたき、犠牲をささげた。
(列王記上、第11章より)
ユダヤ教は「神は1人(1柱?)だけ!」って言うんですから、他の神々は、もちろん女神も含めて全否定です。聖書に登場する女性は生身の人間だけなので、神や半神がごろごろ居るギリシャ神話に比べて魔術的な力が無いのはわかりますが、自由さ、奔放さまで失われるのはどうしてでしょうか?「与える力」と「奪う力」の源泉が同じ、ということでしょうか。
母権社会から父権社会への移行「枢軸時代」
紀元前5−6世紀は、それまでの地母神をベースにした母権宗教に対し、父権宗教が一斉に生まれた時期でもあります。ユダヤ教、ゾロアスター教、儒教、仏教、プラトンのイデア論等が皆この時期に生まれています。(※5)この時期は世界的にプチ氷河期だったらしく、自然は人間に対し、豊穣よりも死を与えたことも影響しているとされます。
厳しい自然に対応するように、神は「厳格な父」の顔をするようになります。確かに、上記に引用した口調でも感じられるように、ユダヤ教の神は厳しく、寛容では無い。悪戯や悪ふざけ、失敗も多い欠点だらけの(人間的な)神々から、決して間違えない、完璧な存在の神への移行は、当時の自然環境が人間に与えた試練の帰結といえるかもしれません。
結果、太古に広まった地母神は、その去勢された断片が聖母マリアとして、また他の断片がルネサンス期に、という風に、すっかり衰えてしまいます。
じゃあ日本も、母権→父権にシフトしたのか?
世界で父権宗教がにょきにょき生まれた「枢軸時代」の頃、日本ではまだ縄文時代。紀元をまたいで3世紀になっても、恐らくまだ母権制の色濃い社会です(※6)。ところが、6世紀に入り状況が変わってきます。仏教の伝来です。
父権宗教である仏教が入ってきた当時、蘇我氏vs物部氏の論争に見られるように、既存の宗教との摩擦はありましたが、記紀に易学的な要素が散見されるように(※7)、結構ミーハーな日本人は、新しいものもすんなり受け入れてしまいます。538年に仏教が伝来してから法隆寺の建立まで、わずか70年弱(※8)。1世紀経たない間に、新しい神様を奉り始めるという凄まじい早さ。漢字を「真名」、かなを「仮名」というように、中国からのものは一流で日本製は二流という感覚もあったのでしょう。(※9)
(2.0)で述べたことを合わせると、3世紀の母権社会から、6世紀の仏教伝来を経て、8世紀の記紀編纂に至ると見ると、仏教伝来が日本の父権化を押し進めたと見ることができます。
日本独特の、絶妙なシフト
しかし、前述したような、キリスト教がヨーロッパの既存宗教を駆逐していった経緯と比べると、日本の状況はかなり異なります。日本はこの頃から新しいものをしれっと受け入れつつ、旧いものと混ぜてしまうのが得意のようで、仏教もそのうち、日本の神々とごっちゃになっていきます。つまり、母権社会の要素を残しながら、上に父権を被せた、独特の構造になったということです。そしてこれはこれまで見てきた日本神話の独特さ「悪女は居ないが、特別な霊力を持っていて、常に男を助ける」と符合します。
永井俊哉氏はエッセイ『なぜ日本人は幼児的なのか』の中で、「日本では男性革命が不十分だった」と述べています。(※10) 母なる大地の庇護を失い、厳しい環境の中、自然と対決し克服していくという、父権宗教のルーツ、過程が日本には無かった。敵対的異民族の侵略も無く、自然の恵みも豊富な環境で、神話の女性は霊力を秘めたまま生き延びることができた(※11)のでしょう。ただし、あくまで父権社会の意に沿った形でーーつまり、「与える力」を保持しつつ、「奪う力」を制御された形で。そしてその独特な女性像は、記紀編纂時に「固定」された。大和撫子はこうして生まれたのだと考えます。
※※※
とりあえず大和撫子については、これにて打ち止めです。本当は、「去勢されたファリック・マザー」のダークフォースが「魔女」という形で生き延びたように、大和撫子から削除された「荒ぶる神」が、山姥や般若や真蛇や清姫として生き延びたとか、(鬼女にならないための)角隠しとか、そういうことも考えたかったんですが。しかし清姫凄いな、逆ナンして振られたら逆キレして男を焼き殺すって、どんだけ激しいんだ・・・
しかし今回は若干、時間切れです。また次回。