8月15日に日本人が特別な感情を抱くということについて(メキシコ雑誌向けの草稿)
メキシコの人たちが毎年、9月15日の夜に抱く感情を感じられる祭日は、日本にはありません。建国記念日(2月11日)は祝日ですが、精神的に重要な日とは感じていません。(※1)そのかわり、8月15日という、日本人にとっていろんな意味で重要な日について話したいと思います。
「お盆」としての8月15日
「お盆」は、簡単に言うと、「地獄の蓋が開き、死んだ家族が一時的に帰って来る」期間です。中国から伝わった仏教の教えに、日本古来の慣習が重なってできた独特の風習です。元々は旧暦7月15日でしたが、1872年に新暦に変更になったのを機に、変遷の末8月15日前後に落ち着きました。
現代日本は(恐らく、メキシコにおけるメキシコシティと同じように)国のかなりの機能が東京に集中していて、つまり多くの地方出身者が関東に住み、仕事をしています。お盆の期間は、彼らが一斉に休暇をとって故郷に帰るので、高速道路や電車は大混雑します。
家族・親族が集い、ホームパーティはもちろんですが、一族のお墓参りをしたりします。地域では「盆踊り」というダンスパーティが催されます。その独特の振り付けは、「地獄の苦役を逃れた亡者の喜び」を表すとされています。
日本の「死者の日」は、メキシコのように明るいお祭りではなく、かといって暗いものでもなく、なんというか、生きている人も死んでいる人も、静かにそれぞれの帰郷と再開を楽しむような期間だと考えられます。この微妙な色彩は、次に述べる、歴史上重要な出来事にも深く色づけされています。
「終戦」としての8月15日
1945年9月2日、日本は東京湾沖に停泊したアメリカ軍艦で署名、連合軍に降伏し、太平洋戦争が終結しました。さかのぼること半月、8月15日正午、天皇の肉声がはじめてラジオで流れました。ほとんど全ての日本人がはじめて聴いたその声は、日本が敵に降伏し、戦争が終わったことを伝えました。
8月6日に原子爆弾が投下され、8月8日にはソ連が日本に宣戦布告し北部から侵入を開始するという、一刻の予断も許さない中、8月14日、日本は降伏の最終決断を下しました。たくさんの人々が亡くなり、たくさんの人々が苦しんだ戦争が終わりかけたのが、偶然にもちょうど「地獄の蓋が空いていた」時だったのです。
これ以降、8月15日は、ただ帰郷し、亡くなった人々を思いおこすという事にとどまらず、太平洋戦争とその敗戦を思い返す日になったのです。(※2)
個人の「死」が「死一般」に吸収される8月15日
8月15日は、日本人が「死」を独特の方法で捉え、ある意味共存していることを示す好例です。故人がまるでそこに居るかのように言及し、また(お墓や祭壇等の偶像物に向かって)話しかけることは、極めて日本的パラノイアックな慣習ですが(※3)、メキシコでも、死者の日のお祭りや、ファン・ルルフォ「ペドロ・パラモ」、またグアナファトのミイラ博物館を見る限り、生と死の境目が曖昧で、行き来がしやすい感覚は、メキシコの方々も理解しやすいんじゃないかと思います。
皆さん、今度日本に来る機会があったら、是非8月15日を目指してください。どこかに、日本の典型的な感情のひとつを見つけることができるはずですよ。
※1旧い旧い神話上の初代天皇が即位した日とされています。そもそも、日本は歴史が記述される前から現在に至るまで独立したまんまなので、「この日にこの国ができた!」という日は実際ありません。
※2 国際法上、降伏の調印をした9月2日が敗戦確定日にもかかわらず、また、アメリカはじめ日本以外の国では9月2日を対日戦勝日(VJデー)としているにもかかわらず、日本ではあたかも8月15日が”終戦確定日”のように見做されているのには、繊細で巧妙な理由がありますが、それはまた今度。
※3 日本は無宗教だといわれますが、個人的には、日本人は極めて宗教的な民族だと思います。ただ、超自然的なものを「神」として人のテリトリーの外に置くのではなく、神聖なものは日常のそこかしこに偏在していると考えています。それは、オクタビオ・パスが芭蕉の俳句にシュルレアリズムを感じたように、ずっと昔から続く日本的感性の特徴なのではないかと思います。それは宮崎駿の作品にも、占い好きにも現れていますが、それもまた今度。