どうしてアメリカンコーヒーっていうの?その4

「ターゲットは?」


「舞台に向かって右側、3列目の席に確認してる」
「よし。じゃこのまま、合図を待とう」


フレッドは、さっきカフェで出会った女性が、パリで一番、フランスで一番の人気歌手だったのに驚きつつ、彼女の歌声に感嘆していた。よく、あんな小さな体から、あんなパワフルな声が出るもんだ!

そして、彼の中には、ひとつのアイデアが浮かび始めていた。さっきのカフェ、雰囲気もなかなか良かったなぁ。無事アメリカに帰ることができたら、あんなカフェを開いてみたい。ピアフさんや、囚われのドイツ兵が、いつでも戻って来られるようなカフェを。

舞台ではエディット・ピアフが、いよいよ今夜の大詰め、最後の曲を歌おうとしている。

「次は、今夜最後の曲です。あたしたちパリジェンヌは、もう一度、パリを救いに来てくれた兵士さん、みんなに感謝しなきゃね。ありがとう!

パリが占領されている間、私達はたくさんのものを失いました。でも、学んだこともたくさんあります。あたし、取り返しのつかないものを嘆くより、今手の中にあるもの、これから育んでいけるものを大切に思って生きていこうと思うんです。そんな思いを込めて、この曲を書きました。それじゃ、聴いてください。『水に流して』」

*****

世界がぐらりと揺れた。はっと気付くと、彼はカフェのテラス席にいた。薄着のティーンエイジャーが笑い合いながら視界を横切る。青いフィアット・プントが縦列駐車で軽くぶつけている。オレンジの揃いの帽子を被ったアジア人観光客のグループ。その向こう側に、ミラノのドゥオモが見えた。やれやれ、最近睡眠不足だったから、うっかり眠ってしまっていたか。商談は3時か、まだ少し時間があるな。

店員がそばを通りかかった。眠気覚ましに、もう一杯、飲んでおくか。
「すいません、カフェ・アメリカーノを・・いや、カフェラテを一杯」

なんだか、自分の父親にまつわる、とても長い夢をみていたようだ。彼は、しばらく夢の細部を思い出そうとしていたが、うまくいかないのでやめた。ただ、椅子は覚えてる。トーネットの14番、いや、18番か。今座ってるこの椅子と同じ。ヨーロッパで、カフェといえば、トーネットだよな、やっぱり。

店員がにこりともせず、カフェラテをテーブルの上に置いていった。きめの細かいミルクフォームが、強靭なエスプレッソの刺激を柔らかく包んでくれる。うん、エスプレッソは飲みにくいけど、ミルク入りなら飲みやすい。これはアメリカでも受けるかもね。

軽く伸びをして、もう一度、視界の周辺に注意を向ける。通りの反対側にも、3件隣にも、あっちの角にも、カフェがあり、カップルや、ビジネスマンや、観光客が、思い思いに喋ったり、考えたり、本を読んだりして、それら全てが、8月の終わり、ミラノ市街の雰囲気をかたちづくっていた。こういう雰囲気って、無いんだよな、アメリカのカフェに。作ってみるのもいいかもしれない。

*****

ハワードが作ったカフェが大成功し、ブランシュ広場、ムーラン・ルージュの向かい側に出店するのは、もう少しだけ先の話。
starbucks
※ムーランルージュ向かいのスタバ。「カフェ・シラノ」は残念ながら現存せず。

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