「わざ言語」に垣間見える日本語独特の○○な話

わざ言語とは、ひとことで言うと
日本舞踊の扇の開き方を教えるときに「天から舞い降りる雪を受けるように」という表現を使う
みたいなやつです(だと思います)。

これはつまり『神の雫』でニュータイプな彼らが口にする仰々しい表現じゃないか、と思ったのです。イヤ、神の雫、実はけっこう好きなんです。ほんとのワイン飲みからすると、「んなアホな。ワイン飲んで目の前にイチゴ畑が広がるわけあらへんがなw」なんでしょうけど、そして回が進めば進むほど、菩薩像を拝むわ、マッターホルンに登るわ、読んでるこっちがいろいろ心配になってくるんですけど、いつのまにか、ろくにワインを飲まない私が、たまに輸入食材店に行って、「あ、これ仮面舞踏会のやつじゃね?」とか、半笑いで言ってるんです。いつかそのワインを買って、なんだか仮面舞踏会なあやしい事を妄想しながら飲むんです。その時点で、エセサブカルな若者を煙に巻いてにやりとするビレバン菊池氏に近い意図は達成されていると思うんです。つまり、全く興味が無い者をおびき寄せて、深みにはまらせる罠になっている。
ちょっと言いたいことがずれたんですけど、何が言いたいかというと、「わざ言語」いいじゃないか、もっと氾濫させようじゃないか、ということです。
例えば、川本真琴が「1/2」だったかをレコーディングするときにエンジニアにどういう言葉でイメージを伝えたかというと、
「なんか、こう、麦わら帽子に、鳥の羽根が刺さってて、ガシガシする感じ」
という意味のことを伝えたという(ずっと昔、TVのインタビューで言ってました)これだって「わざ言語」ですよね?
エスプレッソの味について、私が好きなのは、口に含むとまず下の根元に突き刺さってくる刺々しさがあるものなんです。下の根元まで届かずに、下の先でぼやっと渋みが広がるものは嫌いなんです。(抽出圧が低いと後者になる気がしてます)こういう事をうまく「わざ言語」で言えたらなあと思うんです。
★★★
さらに話が脱線しますが、「わざ言語」の独特さは、日本語自体の独特なシュールさにも関係しているんじゃないかな、という事です。オクタビオ・パスが「奥の細道」スペイン語訳の過程で「閑さや岩にしみ入る蝉の声」にこだわったことは、この(「岩」に「蝉の声」が「しみ入る」!)シュールな言葉の組み合わせが、とても自然な情景を浮かび上がらせるところに、シュルレアリスムや魔術的リアリズムとはまた違ったシュールの形を見たんじゃないか、と、原典も読まないままに勝手に考えてるんです。
(この辺を考えながら「奥の細道」読みたいんですよー。)
★★★
もとい。何かすごいものに巡りあったときに「すげー!」「良かった!」「いいね!」だけじゃなくて、もうちょっと気の利いたメタファーで何か一言言いたいんです。(で、妻に「キモいから村上春樹の主人公みたいな話し方やめて!」と怒られるというオチ)

shoguito

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