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言語とコミュニケーション

メキシコ的死生観について補足エピソードを2つばかり

一年くらい前に、メキシコとドイツ(ヨーロッパ)、日本における死生観の違いについて、あんまりキレのないレポートを書いたんですが、これが。Google検索「メキシコ 死生観」で一位独走中なんです。どんだけ需要無いワードなんだ。しかし、毎日1人ぐらい、奇特な方がこのキーワードで当ブログにご来店されますので、メキシコの死生観についての面白いエピソードを2つ、紹介します。どっちからいこうかな。

日本的な、あまりにも日本的な

メキシコ人と日本人の死生観が若干似ているということについて

「日本のお盆をちらっと見てたんだけど、あれってメキシコの「死者の日」に結構似てるよね。なんか死ぬことの悲壮感が無いというか。ヨーロッパの死の感覚とはまったく違うよね」

奈良市内の、とあるエスプレッソが旨いカフェで、ドイツ人の男の子が放った一言に、はっとさせられました。その感覚は、ぼくが12年ほど前にメキシコに住んでいたとき、そして帰国後、曾祖母の死と葬儀を通して感じたものと全く同じだったんです。

ずっと昔に感じたことを思い出させてくれて、しかもそれを共有できた彼に感謝しつつ、忘れないうちに、日本・メキシコ・ヨーロッパの「死」の感覚について書いてみたいと思います。

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