大津市の事件の終わりに父親になったぼくが考えたこと

2012年7月、滋賀県大津市でひとりの男の子が亡くなりました。それは親を、クラスメートを、学校と大人たちを巻き込み、大きな議論に発展しました。(すぐ後に開催されたロンドンオリンピックに呑まれて、そしてその後の竹島問題で、報道は下火になりつつありますか。)

同じ頃、奈良市内のとある産院で、ぼくの息子が産声を上げました。もちろん、大きな報道にはなりませんでしたが。。。

下記の文章は、たまたまこういった事件が重なったタイミングで新しく親になった私自身に向けて、まとめの意味を込めて書いたものです。でも、同じ時期に親になった、またはなりつつある、知人や友人や知らない人にも、もし時間が許せば、読んでもらって、感想をきかせてもらえると嬉しいと思っています。だって、「子供のかわいいときは一瞬」なんて言うけど、子供にしてみれば、人生の最初の4分の1にどんなことを経験するかで、その後の半世紀以上の人生が決定的に左右されるんですから。そして、(今、全ての親が不安に思うように)どんな子にだって、いじめたり、いじめられたり、圧倒的な暴力を行使したり、されたりする可能性はあるのですから。「かわいい」「頭がいい」だけでは済まさないための、私なりの父親論です。(息子にも、できれば早いタイミングで読んで欲しいな。)

★★★

ヒトラーにまつわる一連の出来事は、どうして起こったのか、ずっと疑問でした。総統やその部下達がみんな揃って典型的な極悪非道な人々であるならしっくりも来るのですが、実際は家族に優しかったり、部下思いの上司だったり、ベジタリアンだったり。村上春樹が(多分)『ねじまき鳥クロニクル』で書いていたように、彼らの実際のイメージは、普通の家庭の普通のサラリーマンで、「たまたま」就職先がナチス党だった、という感じだったんでしょうか。平時であれば多分普通に善良な彼らが、あるひとつの方向にはものすごい攻撃性、残虐性をむき出しにする図は、その前も後も、地球上のどこででも繰り返されます。それは時には連合赤軍だったり、時にはオウムだったり。

いじめる子供たちも、そんな大人たちと同じように、本質的には粋な悪の人じゃなくて、他の子供たちと何も変わらない、「善良な」子供たちなんだと思います。親にプレゼントをもらえば「ありがとう」と言う。愛犬をかわいがる。妹にお菓子を譲る。例えばそういうことが普通にできる人間なんだと思います。

じゃあ、どうしてそんな「善良な」子供たちが、ましてや大人たちが、明らかに人道的におかしい行動を取ってしまうのか。それはもちろん、こういう事件が出る度に引き合いに出される「特定の映画・漫画・本が悪い」という単純なものではなくて、もうちょっと複雑で繊細な問題だと思うのです。というのは、善良な彼らが、善良な我々とどこが違うのか、決定的なポイントが見えないからです。教育か?生活環境か?国籍か?統計とか見ていませんが、そんなものには一切関係なく、いじめる者といじめられる者は、世界中どこにだっている、ということは、善良で育ちが良くて学歴が高くて、大津の事件をTVで観ながら「なんてひどい人たちなんだ!」と思っている私たちが、すこし角度を変えた地点で、自分でも気づかない間に、いじめ/いじめられの関係に入っていることだって、あると思うんです。(この、「自分でも気づかない間に」というのが、非常に重要なポイントだと思います)

自分でも気づかない間に、ゆっくりと、集団が普通の状態から邪悪な状態への変遷(「ダークサイドに落ちる」とも言う)していく場合、どれくらいの人が、その温度差に気づき、また人々の流れに竿をさして抵抗することができるのでしょうか。また逆に、そんな邪悪な暴力を受けた時に、自分を見失わず、生き延びるにはどうすればいいんでしょうか。

★★★

そんな疑問に対するかなり有効な回答を提示してくれたのは、フィリップ・ジンバルド氏でした。このTEDのプレゼン、ぼくとしてはいつぞやのスティーブ・ジョブズのプレゼンよりもぐっときました。

※Flash見えない対策として、Youtubeリンクも追加しました。

(すごくざっくり言うと)スタンフォード監獄実験を通してジンバルド氏は、どんな人間も、状況設定さえ整えれば、いわゆる「いじめ」の構図に取り込まれ、加害者にも被害者にもなる可能性があるということを確認しました。特に鍵になるのが、責任感覚の有無です。ミルグラム実験も示すように、自分の行動に責任を取らなくても良いとわかったところから、道徳観念の麻痺=ダークサイドへの傾倒が始まります。「先生が怒らないから、やっても大丈夫」「みんながやっているから、ぼくもやる」というロジックは、ダークサイドへの近道です。

じゃあ、どうすればダークサイドに引き込まれない生き方ができるのか? どうすれば我が子ルークが、ダークサイドに呑まれないように生き延びられるのか?

ジンバルド氏は、「ヒーロー」の教育が必要なんじゃないか、ということを言っています。(これはぼくの解釈ですが)「ヒーロー」というのは、自分自身を軸にできる人間なんだと思うのです。自分自身の信念に従う。自分の行動について責任を負う。怒られるからやらない、のではなく、自分の信念に反するからやらない。判断基準は自分自身。(それこそ、真に自分自身の生を生きる=フォースと共に在れ(May The Force Be With You)ですかね)

さて、じゃあさらに難問が、、人は、うちの子は、どうやったら自分自身を軸にできる人間になるんでしょうか?これはなんていうか、答えなんて無いんですけど、、。ただ、ひとつだけ確実だと思うのは、日本の外に出て、日本の常識だけじゃなく、他の国の常識も見て、他の言葉を話す何を考えてるのかよくわからん人々と話をすることは、かなり効くということです。外に出ることで自文化(自分の判断基準だったもの)を相対化すると、日本で正しいことが他の国では正しくないなんてことがよくあります。じゃあ、外の世界を判断基準に頼ることができないから、自分で判断しなきゃならない。これ大事だと思います。また、いじめる側ではなく、いじめられる側になった場合。やはり大切なのは、いくら周りが自分を否定しようと、自分は自分を肯定し続けること。異文化を見て、自分を攻撃するコミュニティがいかにしょうもないか、気づいてくれるといいんですけど。。。

★★★

まとめです。

・ウチの子がいじめる側になる可能性も、いじめられる可能性も、十分にある。

・どちらの場合でも、自分自身に判断基準を持てる、行動に責任を持つ子になって欲しいな。

・ということで、ウチの子はスペイン語で育てて、物心ついたらメキシコ一人旅させたい。

★★★

いずれにしても、子供が自分で判断する子になったとして、その判断基準が邪悪でないかどうかは、育てるぼくの責任ですよね。ぼく自身がテレビに流されない、噂に流されない、大多数の日本人が思うことに流されない生き方をすべきだと強く感じます。20年後、ぼくに似た青年に出来上がってると考えただけで恐ろしい・・笑  が、がんばるぞー!


Warning: file_get_contents(https://graph.facebook.com/comments/?ids=http://shoguito.com/ohtsu/): failed to open stream: HTTP request failed! HTTP/1.1 400 Bad Request in /home/shoguito/shoguito.com/public_html/wp-content/plugins/facebook-like-and-comment/comments.php on line 17

Warning: Invalid argument supplied for foreach() in /home/shoguito/shoguito.com/public_html/wp-content/plugins/facebook-like-and-comment/comments.php on line 19
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。