大和撫子についての考察(2.0)

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悪女だらけの世界の神話


メディア」という女性をご存知でしょうか?ギリシャ神話に出てくる恐ろしい人です。この人の恐ろしさは、三枝和子氏(※1)に言わせれば、こんな感じです。(以下引用)


「この女性は金色の毛皮を求めて自分の国にやって来た英雄イアソンと恋に陥ち、父王を裏切って彼の仕事を助け、弟を連れてイアソンと共に父の許を脱出する。当然、父王は軍隊を率いて後を追う。するとメディアはとんでもないことを思いつく。弟を殺してその死体をばらばらにし海に撒いた。父王が遺体を拾い集め、もよりの港で息子の葬式をしているあいだにイアソンと共に逃げ了せるのである。メディアはそのあと夫を苦しめるために我が子を殺したり・・」

 

引用終わり。これはもう、何て言うか・・・凄まじい(笑)

 

ギリシャ神話には、他にもいろんな”悪女”(※2)が出てきます。メジャーな女神は、だいたい悪女。夫の浮気相手との子に毒蛇を放ったり、裸を見た狩人を鹿に変え、犬に八つ裂きにさせたり・・めちゃくちゃです。ヘラクレスの妻は、”間違えて”彼の服に毒を塗り、ヘラクレスの死因を作ります。この点、前回比較したヤマトタケルの嫁と大違いです。その他、女性系の登場人物(生物)も、髪が蛇のメデューサ、上半身だけ女性、あと鳥のハルピュイア、女子だけの先頭民族アマゾンと、結構ひどい。そして強そう。

強く、破壊的で、ときに残酷な女神(女性像)は、例えばインド神話にもカーリーがいます。生死を司るアステカ神話の地母神コアトリクエ(※3)も、「スカートはとぐろを巻いた蛇で出来ており、人間の心臓と手首をつなぎ頭蓋骨をつった首飾り」と、衣装がかなり恐ろしい。そういえば、旧約聖書にも、デリラというひどい嫁がいました。そして新約聖書にはサロメが。

 

一方、日本神話の女性像は・・

 

翻って日本神話に登場する女神・女性を考えてみると、どうも、そんなにおどろおどろしい女子が居ないのです。イザナミが若干、死んでからが怖いところがありますが(黄泉の国へ会いに来た夫イザナギに逆キレし、腐乱したまま追いかける)、天照大神は弟の乱暴にへこんで引きこもるし、前述のクシナダもオトタチバナヒメも従順そのもの。三枝氏は数少ない「悪女」として、スセリビメとサボヒメを挙げますが、スセリビメは男前と一緒に逃げる(も、後ほど父より公認)、サボヒメは夫を殺そうと意図するも結局できない点、海外勢に比べれば全くの無害です。

 

この違いの原因ついて三枝氏は、それぞれの神話が「書き留められた」時期を挙げます。ギリシャ神話が記述されたのは紀元前7-8世紀、古事記・日本書紀が700年代前半(それぞれ712年、720年)と、1500年も違う。ギリシャ神話が太古の母権・女権社会の名残を色濃く残しているのに対し、日本の記紀編纂の時期には、既に男性優位社会が確立しており、(恐らく存在していたであろう)女系社会の神話が歪められてしまったためではないか、というのです。

これはとても興味深い説です。例えば、歴史上存在するとされる最古の、最強の日本人女子はお馴染み「卑弥呼」(※4)。彼女は200年代半ばに死んだ?とされていますが、それから記紀編纂まで400年余り。仮に卑弥呼の時代が母権社会で、ギリシャ神話に登場するような「悪女」達が男達を脅かしていたとしても、それだけ時間があれば、言い伝えも歪曲されてしかるべき、という事でしょうか。

 

魔性の力を制御された日本人女性

 

三枝氏の仮説は、こうです。記紀や風土記にわずかに痕跡が残るように、恐らく、日本にもギリシャ神話のような危なっかしい、恐ろしい女性の言い伝えはあった。ただ、日本語には書き言葉が無かった為、言い伝えを書物に凝固させるのにとても長い時間が掛かってしまった。しかも、記紀は「王権確立」という政治的な急務のなかで編纂された為、政治的バイアスが多分に掛かる中、恐ろしい女性像は弱められてしまったと考えられる。一方ギリシャ神話は、母系社会がかなり根強い時代を通して書き留められた為、強い女性像を認めることができる。

 

日本が男性優位社会になっていく流れの中で、それでも女性の神秘的な、恐るべき力、特に「産む」という不思議な力は男性には備わっていないもので、男子は心の奥では、女性は制御なんてできない、わからない、恐ろしいという感情があったのではないかと思うのです。だからこそ逆に書物には、神秘的な力は認めつつも、敵対せず、常に男子の側にあって、男子を守護してくれる(と嬉しい)という願望が働いたんじゃないかと思います。

 

日本女性にとって幸なのか、不幸なのか、わかりませんが、書物として編纂されたところで神話が凝固してしまいました。平城京遷都から去年で満1300年。その間、日本人はずっと、意地悪で残酷な女性達の物語の代わりに、物凄い力を秘めながら、常に男性を助ける女性の物語を読み継いできたわけです。現代の「大和撫子」の種は、記紀編纂の時に蒔かれたんじゃないでしょうか。

 

今回も強引でした!次回は・・・あるのだろうか?笑

 

※1 ふと、「そういえば、日本の神話には、あんまり悪い女性、出てこないなぁ。誰か書いてないだろうか?」と思い立って、やっとたどり着いたのが、三枝和子氏が新潮45に寄稿した8ページのテキストでした。図書館2件ハシゴしてやっと見つけました。神話に登場する女性像って、フェミニストなら面白いと思うのに、あんまり書かれてないのか(それとも私の調べ方が下手なのか・・)

※2 「悪女」という表現には抵抗があって、テキスト中で三枝氏も言うように、国や時代で「悪」の概念は移り変わるので、現代の日本人の感覚だけで簡単に「悪」とは言えないですが、ここでは、「故意にしろ過失にしろ、結果として夫・パートナーに害をなす女子」という定義で使っています。

※3 日本が蛇信仰というなら、アステカも蛇信仰ですね。ケツァルコアトルも蛇ですし。興味深い。

※4 卑弥呼の墓の有力候補、箸墓古墳には、日本書紀に記述があります。神と結婚した巫女が箸でひどい死に方をするひどい話なんですが、この伝説にもまた「櫛」「蛇」「箸」と、(1)で見た蛇信仰のモチーフと、そこに巫女が絡むという、非常に興味深い内容です。ちなみに箸墓古墳はウチの家具店のすぐ近所にあり、さらに近所にあるうどん屋さんでは、金粉入り「卑弥呼うどん」を召し上がって頂けます。

参考文献:論文「日本神話に悪女はいない?」三枝和子、新潮45、2008年



大和撫子についての考察シリーズ

[1.大和撫子の起源について]

[1.5 吉野裕子『山の神』レビュー]

[2.世界の神話での女性像]

[3.まとめ]

shoguito

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