煙管についての考察

煙管(きせる)について、まとめてみました。

1.煙管の歴史


喫煙は元々アメリカ大陸の風習で、中南米の先住民族が宗教的儀式に用いていたものが、コロンブスによる「新大陸発見」によってヨーロッパに持ち込まれたとされる。15世紀末〜16世紀初頭。J.グッドマンによれば、ヨーロッパで一般消費が始まったのは1570年以降と推定される。一方、日本には、16世紀後半ごろに伝わったと考えられているため(※1)、たった30年弱で極東の島国まで伝わったということになる。タバコのいちばん最初の伝来ルートは諸説あり、定かではない。ヨーロッパの宣教師経由か、東南アジアか、韓国/中国か。いずれにしても、「アメリカ起源→16世紀初頭にヨーロッパ伝来→16世紀後半に普及→16世紀末にアジアに伝搬」という流れだと考える。

煙管は喫煙具だから、タバコとセットで伝わった。煙管の語源にも、カンボジア語のkhsier(=パイプ)だ、いやいやポルトガル語/スペイン語のque sorber(=啜る)だ、と諸説ある(※2)。

江戸時代初期に普及しはじめたタバコとともに、江戸期を通じて煙管は発展を続ける。ざっくり言うと、17世紀までは細身でシンプルな羅宇煙管、18世紀〜19世紀と時代が経るに従い、様々な形状・装飾の煙管が作られた、という理解(具体的な構造については後述)。それぞれ、元禄文化、化政文化の流れで眺めるのも重要かと思われる。

1920年以降、日本では急速に紙巻きタバコが普及し、煙管は過去のものとなっていく。現在、煙管を製造する職人は数えるほどしか居ない。

※1フランシスコ会修道士ペドロ・デ・ブルギーリョスは、1601年に来日し徳川家康に謁見した際、煙草を献上しました。その当時の日本には既にタバコがあると報告書(スペイン王宮博物館蔵)に明記しています。
※2個人的に、後者はちょっと無理矢理な気がします。sorberって「液体をすする」って意味ですし。


2. プロダクトとしての煙管


2-1 構造

最も一般的な煙管は「羅宇(らう)煙管」と呼ばれるもの。(下図参照)
structure of kiseru japanese smoking pipe
初期の羅宇きせるは河骨形(こうぼねがた)と呼ばれ、火皿が大きく、細身で湾曲した雁首、長めの羅宇が特徴的。時代が経るに従い、刻みたばこの製造技術が上がり、「細刻み」と呼ばれる”髪の毛ぐらいに細く刻んだたばこ”が嗜まれるようになって、火皿が小さく、羅宇が短くなっていった(※1)。

一方、火皿から吸口までが全て金属で作られた煙管を「延べきせる」と呼ぶ。時代を下るに従い、単なる喫煙具から、身分や自己表現をあらわす装飾品として扱われるなかで、意匠を施す部分が広く取れる延べきせるも多数製作された。

2-2 きせるの種類

前述のように、日本で喫煙が一般に普及し始めたのは16世紀後半〜17世紀前半ばと推定されるが、この時代はまさに戦国時代〜江戸時代への転換期であり、後に「歌舞伎」等の芸能へととながっていく、かぶき者が生まれた時期。常識や権力に反発し、奇矯な容姿・言動を好む彼らにとって、喫煙、そしてそのための道具は格好の”自己表現”の場になった。その代表的なものが、長さが1mもある「花見きせる(伊達きせる)」であり、帯刀できない町人のかぶき者(町奴)が護身用(and ケンカ用)にと作らせた、総鉄製の「喧嘩きせる」である。

その他、代表的なタイプとして、注連縄をモチーフにした「手綱形きせる」、懐に入れやすいように扁平な形をした「刀豆きせる」がある。変わったものには、吸口が2つに分離し、2人で同じ煙管から吸える「夫婦きせる」というものもあった(※2)。
銅手綱形煙管。歌舞伎のなかで石川五右衛門が持つのが、このイモムシ状の特徴的なキセル。(ただし歴史上の石川五右衛門は豊臣秀吉の時代に釜茹でにされたのに対し、手綱形きせるは江戸後期の流行なので、時代考証的にはNGだと思います)

※1 初期の河骨形きせるの羅宇が長いのは、たばこの品質が低かった為、煙管全体を長くし、煙を冷やして吸味をマイルドにする意図があったものと考えられています。なお、ヨーロッパに比べアジアのたばこは細く刻まれるが、日本のそれは特別に細いのですが、理由は不明のようです。オシャレ心でしょうか。(『日本の美術9 No.412 喫煙具』より)
※2 ファミレスで空気の読めない高校生カップルが、1つのグラスからストロー2本でコーラを飲むやつです。時代が変わっても考えることは変わらないという好例ですね。


3 .刻みタバコの匠、堺刃物との関連性


少し話は逸れるが、江戸時代の200年がいかに創発的に文化を醸成したのかを示す好例として、タバコと堺刃物との関係を挙げたい(憶測多い)。

タバコの普及にさかのぼること半世紀、種子島に火縄銃が伝わる。16世紀下旬には日本各地で鉄砲の量産がされるようになり、堺も鉄砲製造の一大拠点となる。堺は特に織田信長、後に豊臣秀吉とのつながりで、彼らの戦略に必要な鉄砲を大量に生産していた(※1)

「16世紀後半に日本で生産された鉄砲の数は、当時のヨーロッパの全鉄砲数に匹敵するとも言われたほど」(※2)多く生産されていた鉄砲も、関ヶ原の合戦(1600年)、また大阪夏の陣(1615年)以降、大掛かりな戦争が無くなってしまった日本では需要が無く、生産は激減したものと考えられる(※3)。そこで堺の商人が目をつけたのは、当時流行り始めた「煙草」だったのではないだろうか。堺はタバコ包丁の生産にシフトし、その高品質さから、17世紀前半には既に名産品と認知され(※4)、1758年には幕府から「堺極」の刻印と専売の許可を得る。

 しかし次の転機が訪れる。せっかく幕府のお墨付きを得た、たった半世紀後(19世紀前半)に、包丁による手刻みよりも効率良く高品質な細刻みが可能なカンナ刻み器、ゼンマイ刻み器が相次いで開発され、家庭内手工業で熟練の刻み職人によって製造されていた刻みタバコが、工場内手工業でより大規模に生産される形態になり、結果タバコ包丁は市場から駆逐される。

 ここで堺は再度、方向転換を図り、ターゲットになったのが「料理用包丁」なのではないかと考える。この経緯については、江戸期の料理・調理器具の変遷も調べてみたいので、また後日。


※1 この時期の堺の鉄砲製造、豪商と武将の関係は 信長と堺の豪商に詳しく載っています。今井宗久、千利休が元々「武将に鉄砲を売りさばいて大儲けした豪商」というのが、なんというか、大人の世界の生々しさですね。
※2 堺市ホームページ より。ほんとかよ。出典が欲しいところです。
※3 なお大坂夏の陣で、戦場になった堺は甚大な被害を受け、その後早急に復旧されますが、徳川政権になり、鎖国政策で日本人の海外渡航も禁じられたため、南蛮貿易で発展してきた堺は方向転換を余儀なくされました。
※4 「17世紀前半の諸国名産品を記した『毛吹草』の記述(『ことばにみる江戸のたばこ』)


出典:
『タバコの世界史』J.グッドマン
『ことばにみる江戸のたばこ』たばこと塩の博物館 編
『日本の美術9 No412″喫煙具”』小松大秀/岩崎均史


そして最後に・・・営業活動!!
ウチで扱っている煙管をご紹介。(詳細は画像をクリック)

silver kiseru, japanese smoking pipe

一番人気の純銀製、槌目延べ煙管。火皿には木目金の意匠。

brass lau kiseru, japanese smoking pipe

真鍮羅宇きせる。ベーシックな形です。

銅剥がれ手綱形きせる。独特の表面仕上げが個人的にはツボです。

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