グレート・ギャツビー的な生について

 「誰も彼も、かすみたいなやつらだ」と僕は芝生の庭越しに叫んだ。「みんな合わせても、君一人の値打ちもないね」 (後半、グレートなギャツビーに対してニックが最大限の賛辞を送る言葉。なんだかんだ言ってもぼくはやっぱり村上春樹訳が好き。)

 

 

  

2009年12月にぼくが「ギャツビー的だ」と評した男と一緒に仕事をすることになり、出会ってから数えるともう4年近くになりました。いろんな状況の変化があり、特に2011年は(大失敗も含めて)大きな変化がたくさんあり、それも踏まえて2012年は恐ろしく忙しくなりそうだし、実際なっています。

 

ただ、ぼく自身はこれが良い兆候なのかそうでないのかをうまく把握できていなくて、どちらかといえば(もちろん、理論的には、全てぼく自身が望み、選び、結果を受け入れてきたのだけれど)若干、自分の生の斜め上ぐらいを浮かんでいる感覚がずっとあって、しっくり来てないのです。

  

それは、結婚して所謂「守るべきもの」ができたために、今までのように「ぼくは人生に保険は掛けない主義です!」と意味不明な事を言えなくなったり、ゆっくりとしかし着実に死に向かっていることを実感するようになっていたり、自営業だけに(いくら忙しくても)くよくよ考える時間だけはたっぷりあったり、そんなお陰で、20歳の頃に青臭い感じでいろいろ読んだり考えたりしていたことの復刻版が来ている感じです。

  

(余談:そういえば、大学の頃にフられて、10年越しで再会できた人から先日、「実家帰ったらこんなん出てきた」と、ぼくが当時(20歳の頃)に青臭い感じでいろいろ書き綴って送りつけたレポート用紙の束の写メが送られてきて愕然としましたが、そういうエピソードもぼくのこういう感情に影響を与えているのだと思います。S様、どうか焼却処分して下さいませ・・・)

  

本題。グレートギャツビー的に生きるということについて。

  

目的地を定め、的確に布陣を固めて突き進むような生き方。イチローが小学生で年棒1億円を射程に入れるような、友人S嬢が「ラテンアメリカでJICA」をターゲットに、大学でスペイン語→卒業後に看護士免許と着々と布石を打っていくような。もちろん、今や一緒に仕事することになった(そして毎日振り回されている笑)ジャウマ君も、GIAで宝石技術の習得→日本で木目金の技術→足りないのでスイスで追加研修と、物凄いスピードで進んでいく。そういうのを横で見ていると、ぼくは自分がちゃんと前に進めてる気がしなくなるんです。

  

2012年、いろいろ良いタイミングなので、(既にかなり遅いかもしれませんが・・)この辺で、射程の長ーい目的地をがっちり定めて、ちゃんとそれに沿った生き方をしたいなぁと思うわけです。仕事でも、プライベートでも。

 

具体的な答えはまだ出ないんですが、ヒントは「越境」にあると感じています。(ぼくの場合、特に言語的に)越境することで生まれる価値を追求するというか、何と言うか。できればそれを、今年中に形にしたいと思っています。

  

がんばれ俺!(←誰も言ってくれないから、自分で言うのが癖になってきた)

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