Category Archives: 言語とコミュニケーション

言語とコミュニケーション

先週、ディズニーランドに行ってきたのですが

正直、テーマパークは好きじゃないのです。しかもこのくそ暑いのに、何が悲しくて5分間の絶叫マシンの為に1時間待たなきゃならんのだと思ったりしていたわけです。


しかし初めて行くディズニーランド、特にディズニーシーの方には本当にびびりました。凄いというか、ここまで来ると鬼気迫るものを感じますね。細かいところまで全く手抜きのないところに、、、


今まで「奈良ドリームランド」と「あやめ池遊園地」(共に廃園)しか知らずに、それが遊園地の限界だと思いこんでいた私の井の中の蛙さ加減といったら、、バカ!


☆☆☆


いつも「魔物の棲むカフェ」「魔物の潜む場所」を探していて、そんな魔物的空間をつくりたいと思いながら、この「魔物」という言葉が何を指すのか、自分でもうまく言葉で説明できずにいましたが、TDL/TDSを彷徨いながらふと思ったのは、凄く大袈裟に言えば、その空間が偏執狂的につくられているかどうか、というのが重要なんじゃないかと思います。それは「物語性」の話でもあるし、「リアルとフィクションの境界線」の話でもある。少なくともディズニーランドは、日にざっくり7万人づつ呑み込んでいく、大きな大きな偏執狂的夢のお手本だなぁと思う訳です。

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EUREKA

今日は朝から「EUREKA」の文字が頭にへばりついて離れません、なぜか。


元ネタは、「アルキメデスがアルキメデスの原理を発見した際、叫んだとされる言葉」(byWikipedia)。本人は裸で走りながら無我夢中だったのかしりませんが、この言葉が多くの子供達を生み出していきます。

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若干、真面目な話をひとつ:メジャーなもの、マイナーなもの

多分、10年くらいずっと考え続けていることなのです。
「メジャーなもの」と「マイナーなもの」との関係、組み合わせ、捉え方について。

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ベッドの中の正しい答え

「彼女は魅力的なの?」「じゅうぶん魅力的だと思う」と淳平は言った。「でも君ほどじゃない」
キリエは笑って、淳平の首にキスをした。「それって、正しい答えよね」
「正しい答えが必要とされるときには、正しい答えを返すことにしている」
「とくにベッドの中では」
「とくにベッドの中では」と彼は言った。 
(村上春樹『東京奇譚集』より「日々移動する腎臓のかたちをした石」より引用)

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和歌山が生んだ魔物、竹中麻衣子を絶賛するエントリ

いつもお世話になっております。
「箱屋の八代目」堀内 祥吾です。
先程来られたお客様が「あ、八代目さんね?」と仰られました。
そうです、ワタシが・・・・(志村師匠!)



★★★



7月に、和歌山は湯浅町で恐ろしいイベントを成功させた「卑弥呼似の魔物」竹中 麻衣子が、正倉院展を見にくるというので、夕刻お茶でも・・・ということで奈良駅前のミスドで落ち合いました。
(普段、登場人物の匿名性にはかなり気を遣う私が彼女の名前を記述するのには、もちろん訳があります。)
6月に和歌山のビーチで会って、7月にイベントで会って、今回が3回目の謁見ですが、この人の魔物ぶりが一層よくわかった気がします。ただ残念なことに、まだ底が知れません。

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リーマン破綻についての「セカイ系」的所感

久々にふらりと池田信夫blogに潜入すると、やはり面白い記事が・・・こちら。リーマン破綻の一因に、ウォーレン・バフェットのケータイ音痴が関与しているという。
んなアホな・・・・笑

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ドイツ人の女の子、日本人の女の子

京都のどこぞのラボに研究(?)に来ていたドイツ人のナオミ嬢がそろそろ帰国するというので、しばしの別れということではるばる出町柳まで飲みに行ってきました。



久々に女の子とデートだ!と張り切っていたのに、一昨日、彼氏が日本に着いて、「来週は沖縄でバカンス」するんだそうな。へぇへぇ、よろしいですな!涙 ということで彼女と彼氏とそのかばん持ち、ということで3人で鴨川のほとりでコロナビールで乾杯&万歳三唱していました・・・

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キューバにみる言語学的パラダイムシフト

(注:本エントリは甚だしくエセ哲学的/言語的/衒学的表現が頻出します。)



ヨアニ・サンチェスの本日のエントリは、びっくりするくらい言語学的示唆に富んでいる気がします。
要は、キューバにおいて、共産主義の定番「同志(compañero-コンパニェーロ」という言葉が次第に消えつつあるということ、それはこの言語共同体の内側から、共産主義的な求心力が自滅しつつあることを暗示している。人々は共産主義に抵抗するのではなく、ただ興味が無いのだ!



(参考:エドワード・サピアの言う「ドリフト」もしくはソシュールの「通時態」。)

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「な夕書」というひとつの事件について

高松が誇る長大な商店街をうまく擦り抜けると、きみは「な夕書」にたどり着くのかもしれない。
運が良ければ。


natashoそこにはこんな景色が広がっている。


ぼくは未だかつてこんなにも真摯かつ自堕落な、嗚咽とポップ&キュートが同居するような、魅力的な「場」に出くわしたことが無かった。


入口は普通の民家の様で、よーーく見ると3cm四方くらいの紙にこっそり「Open」と書いてある。入口から、オーナーのやる気の無さ(※1)がひしひしと伝わってくる。Openと書くからには何らかのお店なんだろうけど、店の名前も、どんなサービスを提供しているのかも、全くわからない。全く。ぼくは入口で本当に途方に暮れてしまったけれど、意を決して入ることにした。


“玄関で靴を脱いで”細く急な階段を上がる。上がり切って振り返ると、奥のほうで女性が机に向かい、パソコンをいじっている。声を掛けると、驚いたように振り向く。


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言語とコミュニケーション

(メモ)きみがぼくの中に息づいているという事について

「無意識のずっと奥の方、きみだけがずっと息づいてる」
っていうフレーズを、遠い昔に、2週間だけ付き合って当時の髪型(辮髪)で調子乗ったことが原因でフラれてその3日後に丸坊主にして「もうしません、もう一度付き合ってください」と再アプローチするという醜態をさらし、当然却下された女の子経由で知り合った友達の依頼で作成した「付き合って1年記念ソング」の中に入れたことをふと思い出した。あれは確か1999年の春・・・いかんいかん、回想モードに入りそうになった。今日は思い出に深入りするつもりはなくて(泣いちゃうよ・・・)この前みた夢の話。

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