[レビュー]『脳はなぜ「心」を作ったのか』(前野隆司)

旧き良きテレビアニメの定番ジョークのひとつに、崖から落ちるー!と思ったらベッドから落ちていた、というのがあります。あれ、私も結構良くやりますが(大抵は、机の上で肩肘ついて居眠りしていて、ガクってするやつですが)、よく考えてみると、おかしいんです。崖から落ちて、目が覚めたらベッドから落ちていた、ということは、崖に辿り着く前に、落ちる(=ベッドから落ちる)というシナリオが脳の中で出来ていた、という事になります。


違うんですね。ほんとうは逆で、「ベッドから落ちた」という、身体に起こった刺激をもとに、脳がストーリーを再構築して、夢として見せているんですね。そして恐ろしいことに、ベッドから実際に落ちた瞬間を、時間をねじ曲げて、あたかもストーリーの最後に結果として起こったように見せる。脳、恐るべしです。

★★★

この本は、正直へこみます。「我思惟する、ゆえに我あり」の我なんて無いからね、それはもの言う無数の小人たちの偏った民主主義の結果でしか無いんだからね、と説得され、そして納得してしまうからです。一方で、気楽にもなります。パートナーの何気ない一言で怒ってしまって、バツが悪くて引き返せない時でも、「ああ、でも、火を噴いたのはぼくじゃなくて、ぼくの中の一部の声がでかい小人なんだよな」と言い訳する(開き直る?)こともできるからです。うーん。言い訳にならないか。

★★★

「神は細部に宿る」の真意も、ここにあるのかなと感じます。つまり、ひとつの物事を突き詰めていくという事は、「コーヒー」というざっくりとした小人が「ドリップコーヒー」と「エスプレッソ」に分裂し、「エスプレッソ」は「マキネッタ」と「マシン」に分裂し、「マシン」はさらに「ランチリオ」や「マルゾッコ」に分裂し・・と、プラナリアが切っても切ってもどんどん分裂していくように、どんどん多く、細かくなっていく。その最小単位の小人のうち1柱が光り出したら、それが細部に宿った神なのかなと思います。

そういえば、森山直太朗のいつかのツアータイトルが「どこまで細部になれるだろう」でした。そうかそういう意味だったのか。さすが。

★★★

一言で言うなら、私とは

小人の多数決、受動的な私

であり、

牢獄の中で錯覚する私

だから、次に来る設問は、「いかに小人を増やして、発火させるか?」と「いかに私に錯覚させるか?」になると思います。考え方を変えてくれる良い本でした。そして巻末の解説に夢枕獏とかがぐっと来ます。

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